大原野神社の「由緒 ~いわれ~」

春日大社は平城京の東、古来より神山と崇められる御蓋山(みかさやま)の西麓に神護景雲2(768)年に鎮座し、政権を担う藤原氏にとってはまさに王城鎮護、国家鎮護の社でありました。かたや大原野神社は長岡京の西、小塩山の東麓に鎮座し、平安京遷都後も二十二社(にじゅうにしゃ・常に朝廷の殊遇を受けた社で、国家に重大事や天変地異のあるごとに使を遣わされて奉幣を受けた二十二の神社)に列し国家鎮護の社とされました。

その後、約60年を経た 嘉祥3年(850)に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇は冬嗣長年の願望を想い出して、壮麗な社殿を造営されました。


仁寿元年(851)始めて勅祭が行われ、春秋二季を例典とされました。はじめ藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるように、この社に祈り、幸にして女が祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝することが例となり、なかでも寛弘2年(1005)3月8日に中宮彰子が本社に行啓、御父左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと云われています。

また清和天皇の皇后藤原高子が、まだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣になり、供奉の在原業平が、「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠じて奉ったことは、有名であります。

このように由緒正しく、また栄えた神社であったので、六国史、大鏡等は勿論、源氏物語、その他有名な古典には当社のことがしばしば書きとどめられています。

大原野神社の御本殿の第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと)、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られ、摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っています。古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いのです。


神域

神域は8万3千平方メートルあって、うち6万6千平方メートルは緑の林になっています。
山林はむかし殿上人が子の日の遊びをした跡で、いまも昔をしのぶことができます。また参道付近には紅葉や桜が多く、奈良の、猿沢池にまねて造った、鯉沢の池には、かきつばたや水蓮の花が美しく、古歌に詠まれた瀬和井(せがい)の清水は、古木の根本にかくれて清らかであります。

春季には名にしおう小塩桜、霧島、ぼたん、つづじなど到るところに研を競い夏季は新緑にはほととぎす、秋季は紅葉、冬季は丹朱社殿の雪景が一しおの尊厳、優雅さを添え、その風景は今なお王朝の余香を感じることもできます。


御田刈祭(みたかりさい) 9月の第二日曜日

五穀豊穣を奉謝する祭儀で、古くよりある当社の特殊神事です。
神慮を慰め奉り 氏子が平穏無事に過ごせるよう 享保2年(1717年)より、毎年神相撲の神事が行われています。
神相撲とは、古式にのっとり、南北の氏子の代表による神相撲力士により相撲がとられます。

あわせて、相撲振興会による小学生豆力士の土俵入り、かわいらしい赤ちゃんの土俵入りも行われ、夜には氏子青年会主催のナイトコンサートが開催され、大変賑やかです。



御田刈祭の模様


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大原野神社の風景


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この春日大社と大原野神社の鎮座地に共通する点は、当時の都よりほど近くしかも山の麓であることです。
桓武帝が鷹狩りの為幾度となく大原野の地に足を運ばれ、随行する藤原氏の人々もこの地の風景の美しさを賞でたとされるが、西山の中でも一際その秀麗さを誇る小塩山をそれらの人々はふるさとである奈良の御蓋山、或いはその山の後方、春日山と重ね合わせたに違いなく、小塩山の麓を神地と定め神祀ったのでありましょう。

付近の名勝地

神域に隣接して勝持寺(花の寺)正法寺
小塩山の山頂には淳和天皇の御陵
小塩山一帯には、金蔵寺十輪寺三鈷寺善峰寺などの名高い寺々があります。

 

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