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数量限定 十輪寺・大原野神社 秋のコラボ朱印

ご好評頂いております和歌御朱印を数量限定で、

10月1日より

授与致します。
なくなり次第終了となります。


上の句は業平寺として知られる十輪寺で
下の句は大原野神社で授与致します。


紅葉の絵柄が、2枚合わせると揃うようになっております。
ぜひあわせてお受け下さい。

平安時代、藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようにと
大原野神社に祈願し、祈願通りになると行列を整えて当社に参詣することが通例となっおりました。
貞観18年(876年)、清和天皇の女御となった藤原高子(二条の后)が大原野神社に参詣した際、右近衛権中将で高子のかつての恋人であった在原業平がその行幸につき従い歌を詠みました。

大原や小塩の山もけふこそは 
神代のことも思ひ出づらめ

「小塩の大原野神社にまつられている藤原氏の祖神天児屋根命も、
その子孫の高子様が詣でられた今日、ご自身が神代において天孫に仕えまつられたことを思い出して、よろこんでおいでのことであろう」

この歌には、もう一つの意味があるといわれています。
世に広く知られる業平と高子との恋は、貞観元年(八五九)十一月十九日の豊明の節会で、高子が五節の舞姫に選ばれて舞ったのを機会として始まりました。
業平は、その時舞姫の世話をする行事の蔵人として、高子の世話をしました。
それはまた高子が清和天皇の面前で始めて舞う機会でもありました。
奇しくも清和天皇と業平その二人が同じ時に同じ場所で始めて、高子をご覧になられたのでありました。
時に清和天皇十歳、高子十八歳、業平三十五歳でございました。
高子の女御としての入内が貞観八年十二月まで延びたのは、
おそらく業平との関係があったからと思われます。
高子入内後も業平は宮中における公的な場で高子の面前に出ていますが、
私的な語らいはゆるされませんでした。
伊勢物語には、貞観十八年十一月十五日の大原野祭に高子の行啓に供奉した業平が、
表面的には儀礼歌の形をとりながら、高子との恋を懐かしむ心を歌に託して訴えたのでしょう。

上句には「高子様も」が重なり、「神代のことも」には「私達が語らい合った日のことも」が重なります。
二人がひそかに逢っていた日々を懐かしんだものと思われます。

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