紫式部の氏神「京春日」
紫式部の氏神「京春日」
紫式部の氏神「京春日」
紫式部の氏神「京春日」
源氏物語の作者紫式部は大原野神社を氏神と崇め、この大原野の地をこよなく愛していました。源氏物語二十九帖「行幸(みゆき)」の巻には、大原野へと向かう冷泉帝の華やかで美しい行列の様子が描かれ、紫式部のこの地への思いの一端を伺い知ることができます。 また、紫式部が生前に自ら撰んだとされる家集「紫式部集」に次の歌が詠まれています。
暦に、初雪降ると書きつけたる日、
目に近き日野岳(ひのたけ)といふ山の雪、いと深く見やらるれば
ここにかく 日野の杉むら埋(うづ)む雪
小塩(をしお)の松に 今日(きやう)やまがへる
現代語訳
[詞書] 暦に 初雪が降ったとしるされる今日
近くに見える日の岳という山に、雪が深く積もっている
「日野岳の杉林は、雪に深く埋れんばかりだ。
今日は、都でも小塩山の松に、雪がちらちらと散り乱れて降っていることであろうか。
この歌は一条天皇の長徳2(996)年、越前国の国司に任じられた父藤原為時に伴われて越前国の国府(現在の越前市。平成17年10月、市町村合併により武生市から名称変更)にやってきた紫式部が詠んだ歌として有名なものです。
歌の前にある詞書(ことばがき)に出てくる日野岳は地元で越前富士と称される標高795メ-トルの日野山(ひのさん)のことで、生まれてこの方ずっと都に住んでいた紫式部にとって初めて見る雪国の山の姿であったのでしょう、その日野岳の杉群を埋む雪を見てふるさと(都)を懐かしみ真っ先に思い出したのが小塩山でありました。
三方を山に囲まれた都にあって数ある山の中から小塩山を思い出したのは、やはり麓に鎮座する氏神大原野神社の存在を大切に思っていたからではないでしょうか。